文学は死んでしまったのか
僕は読書が好きだ。読書にハマるきっかけを与えてくれたのは村上春樹だった。そこから色々と派生していろんな作家を読むようになった。そうやって好きな作家を見つけて本を読み進めていくって楽しみを知らない人は多いんじゃないかな。
近頃本離れが叫ばれているけれど、実体としてはどうなのだろう?僕の意見では二極化が更に読書界に浸透しているんじゃないだろうかと思う。都内では小さな町の本屋がバンバン閉店しているようだ。なんだか寂しい。
話が逸れてしまいそうなので本題に入る。
文学は死んでしまったのか?
そもそも文学の定義自体が曖昧だから自分なりに定義付けてみる。
文学→ストーリはおまけで、本当に伝えたいことがストーリー意外に存在する本
娯楽小説→単にストーリを楽しんでもらいたい、ストーリーありきな本
ラノベ→萌や妄想を提供する本
専門書→知識を伝える本
大雑把に分けたので穴はあると思うがだいたいこんな感じじゃないかな。それで、最近は娯楽小説の割合が非常に大きい。僕は、巷を賑わせている伊坂幸太郎や東野圭吾なんかは完全に娯楽小説だと認識してる。何冊か読んだけどストーリーしか頭に残らなかった。そんなもん。
このたぐいの小説はわざわざ本としてやらなくても、映画でもドラマでもいいじゃないかと思うんだけれど、今の本離れを考えると読書の入り口として必要なのかもしれない。なので批判は出来ない。
何が言いたいかというと、本を読んでいる人が周りにほんとんどいないってこと。ほとんどというか、知人には一人しかいない。たとえ読んでいても伊坂幸太郎、東野圭吾、、、もうちょっと良い本を読んでもらいたい。物語の楽しさだけでなく、心に何かが残るような。それは、巨大な何かが残らなくてもいい。多分カスみたいな本の残滓で十分だ。
純粋な文学って物語としては退屈だったりするからそこら辺を見極めたり、投げ出さないで読んだりする力ってのが言わずもがな必要になるんだけどね。まあ、村上春樹、安部公房、夏目漱石、太宰治なんかは僕も好きで読むけどとっつきやすいと思うのでオススメです。
そういえば、何年か前に綿矢りさと金原ひとみが芥川賞受賞って話題になったじゃん。あれって要は、低迷を続ける文学界や読書界に投与された一種のカンフル剤だったんじゃないだろうか。正直読んでみた結果は微妙だった。確かにいいものは持っていたとは思うけれど、まだ早すぎたんじゃなかろうか。
事実、綿矢りさはルックスが良かったためストーカー被害に悩まされていたとかなんとかで、その後露出を避けるようになって、結果的に下火になってしまった。若い芽は摘み取られてしまった。
まあ、文の技術ってのはそんなに急速に獲得できるものじゃないから、良い作家が出てきてくれることを願ってます。