innate8の日記

大海を泳ぐ

ノーベル文学賞のゆくえは

ここの所、ニュースを全く見ていないせいもあって世間の動向に疎くなってしまった。スギちゃんだぜぇ~、とつぶやく同期のネタを自然とスルーし、武井咲ドラマ出すぎだよね、とう言う話題には作り笑いしか出来ない。テレビが無いって寂しい以外にこんな弊害があるなんて。群れるのは嫌いだし、話す機会がそんなに無いから世間の話題なんてどうでもいいよって思ってたけど、潤滑剤としては大切なんだね。一見無駄だと思えるものほど大切だったりするんだな。

 

それで、ノーベル文学賞の受賞があったことも知らなかった。村上春樹は、、やっぱり逃したか。

 

個人的には、村上春樹は当分受賞出来ないんじゃないかと思う。村上さんは受賞するだけの土台は十分できている。多くの言語で翻訳されているしアジア圏やアメリカではそれなりの影響力を持っている。最近は、国際的な受賞もしている。カフカ賞やエルサレム賞など。

だけど、受賞できない理由は2つあるんじゃないかと。

まず、基準が曖昧ってこと。

ノーベル文学賞って文学だけあってふるいにかける基準が定性的で曖昧だから、審査員の気まぐれで大きく左右されてしまうんじゃないかと思う。iPS細胞みたいにゆるぎのない偉大な研究成果は、きちんとものとして残っているから否定しようが無いけど、文学だと好き嫌いで否定出来てしまう。審査員が村上春樹の作品が嫌いだったら、作品として優れていてもアウト。

次に、今のノーベル文学賞の傾向にマッチしていない。

最近のノーベル文学賞の傾向は、外から押し潰そうとする巨大な力に反発するマイノリティを描いた作品が多い。確かに文学の表現とか技法も見ているとは思うけど、その作風と一体感があった方がなお良いわけで、今の村上作品はそういう点では弱い。

あと、作家自信が外部からの強大な力を経験したことがあって、自分の経験を昇華して作品としている傾向もある。そういう点からも、村上春樹のドライな文体と比喩で都会における孤独や行き場のない悶々とした感情を描くってのは違うよね。

 

ノーベル文学賞の流れが変わって村上さんが存命の間に受賞できることを願います。