innate8の日記

大海を泳ぐ

環境と自己形成

環境という足枷

この記事を読んで。つくづく納得されられた。

 

子供の頃に、与えられるべきものを与えてもらえないというのは非常に成長に響くということは身を持って感じている。それは、勉強に限らず人格形成にも。

きっと人間は自分の中に嫌いな部分とか変えたい部分を持っていると思う。でも、十数年を経て積み上げられてきた人格を簡単に修正することは出来ない。例えば、20階建てのビルの、5階だけ取り除きたいって考えても難しいでしょ。人格ってそれくらいガッチリと組み上げられてる。因果関係も絡み合ってる。

自分の場合、子供の頃叩きこまれたお金に関することと孤独感は今でも拭いきれずにいる。変えたいと思ってもけち臭いことしてしまうし、常に孤独感と戦っている。友達と遊んでいても孤独を感じる。

与えるべきものをもらえなかった子供たちは自分の想像できる範囲にしか生きられない。人格や脳がそういう構造で作られてしまっているから。中卒レベルの人が心から学び直したい、東大に行きたいとは考えないだろう。考えても想像が出来ないから、多分勉強の途中で諦める。たとえ入学できても多分中退するのが関の山だろう。要は、自分が住める世界を限定せざるを得ないってこと。

そういえば、橋下大阪都知事と地元の私立高校に通っている生徒との議論がそんな感じ。

なんだか、上記に書いたブログの丸パクリになってしまいましたが。

 

じゃあ、大人になってしまった僕らは絶望するしか無いのか?きっと、この格差や自分の置かれているステージを乗り越えることはできる。実際乗り越えた人を何人か見てきた。でも、乗り越えるには生半可な覚悟じゃダメだよ。そりゃもう、一度自分の人生を捨てる気で挑まないといけない。

例えば、肉体労働でそれなりに手に職を付けた人がいるとする。その人は手についた職や地位を一回捨てなくてはいけない。違うステージに行くのにその知識は必要ないから。全く違う業種に転職するのに似ているかも。更に、肉体労働はそれなりに代替できるけど、肉体労働から知的労働、知的労働から別の種類の知的労働は知識体系が隔たっているから難しい。

乗り越えるとき、心は出血しボロボロになり押しつぶされる。立ち直れないかもしれないし、精神をすり減らしてノイローゼになるかもしれない。恐らく時間もかかる。それくらいの努力をして乗り越える価値は有るのか?今の生活だって身の丈にあった幸せは存在しているだろうし。

それくらいの覚悟ができているか。ってことで。