ただ淡々と走る
ただ淡々と走る。寒空の下、人気のない寂しい住宅街を。
だいぶ秋も深まってきた。Tシャツ一枚で走ってきたんだけど、あまりにも寒くて途中で引き返してきてしまった。明日からは厚着で行こうか。
走ると頭がすっきりする。一人でパソコンの前にいると、モヤモヤ鬱々して頭がおかしくなりそうだ。
走るってのは人間本来の何かを取り戻せている気がするんだよね。走るのってそんなに好きじゃないけど、すごいストレス発散になっている感じがする。会社で溜め込んだストレスが一気に放出されている感じ。
走っている間に思った。
人生は走ることと似ている。人生は苦行である。
人間が生きることって基本的に苦しいこと何だと思う。昔ブッダが説いたけど、数千年まえの現代も何ら変わりない。人間の生は苦の上に成り立っているとして、じゃあどうやって苦しさを紛らわしながら生きていこうかってことが大切なんだろう。
そもそも、人間はいつか死んでしまうのになぜこんなに苦しいことをしなければならないのか?じゃあいっそのこと今すぐ死んでしまおうか。追い詰められた人は自分で命をたって苦しさから逃れようとする。その気持はとてもわかる。でも、生きることは苦しいからこそ死なないで生き抜くことが大切だと思うんだよね。
人間楽をするきになればとことん楽はできると思う。さっき走っていて思った。走っている途中腹が減っていることに気がついて、こんな時間だけどオリジン弁当ウマそうだから食べちゃおっかなとか思ったり。食べたら食べたで太るけど自分が気にしなければどうってことないよ、とか。
好きなモノを好きなときに食べて仕事もしないでだらだら暮らす気になっても、貯金で数ヶ月はなんとかなるし、とか。その気になれば、ホームレスになって残飯あさって、ただ生きていればいいんじゃないかなとか。
そんなネガティブなことを考えていたけど、人生ってそういうもんじゃない。走ることみたいにただただ苦しいけど、淡々と生き続ける、人として社会的に生き続けるってことが大切なんだよって思った。
究極的な生きる意味なんてないからこそ、自分で何かしらの生きる意味を作る必要があるんだろうね。例えば子供のために生きるとか。なぜ生まれて生きるのかなんて考えたところで答えなんか出やしないんだから考えるだけ無駄だな。つまり、生きたいように生きろ、と。
だから僕は明日も淡々と走り続ける。