innate8の日記

大海を泳ぐ

旅の断片.i 《とある離島》

 これは旅のパッセージであり、弔いであり、一種の墓標である。

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「何だってこんな辺鄙なところに来てしまったのだ」と、ひとりごちた。

 お世辞にも立派な一大観光地とは言えない、小さな離島だ。インターネットで一通りの情報は得、その外身だけは理解していた。青い海と豊かな自然があり、その昔鉄砲が伝来し、日本で唯一ロケットが飛ぶ島。島に渡る手段はいくつか存在したが、その中でも一番安いルートを選んだ。金が無かった。港について乗船手続きを済まし、フェリーが着船するのを待った。まるで人を積み荷みたいに扱う、とてもシステマチックな方法で乗船し、客席に着く。船内は媚び諂いのない、本当にシンプルな物だった。座敷スペース、電波が途切れ途切れになるテレビ、トイレ、ヤニで黄ばんだカーテンが吊るされた喫煙スペース。
 僕の実情としては内心期待していたのだ。きっと何かがある、と思っていたから。そこには何かがある。逆説的に言うなれば、何も無い場所なんて無い、と。ふと、昔誰かがこんなことを言っていたことを思い出した。
「東京には何だってあるんだよ。銀座に行けば世界基準の最新トレンドを見ることができるし、新宿や渋谷に行けば新しく生まれ落ちた流行を感じることができる。仕事も金も人も娯楽も東京に凝縮されてんだ。日本は東京を基準に回ってるんだぜ」
 確かに一理あるのかもしれない。東京タワーに行けばご当地キティちゃんが全て揃うし、高尾山に行けばお遍路の効果を得ることができる。電車は数分置きに走り不自由無く、遊ぶ場所にも困らず、魅力的な男女がそこら中に居る。でも、有り余るほどの(事実到底処理しきれないほどの)情報にさらされ、一種の全能感に包まれ、常に視覚的や感覚的に刺激を与えられ続け、表層にだけ意識を向けていては、その裏にある「何か」を感じ取れないのではないか。強くそう思ったのだ。

 島へは数時間の船旅だった。その航行で、何人かの旅人と言葉をかわした。 「なんでわざわざそっちへ行くんですか? 隣の島の方が観光地としては有名ですよ」と、彼は助言してくれたが僕は適当に言い訳して話を逸らした。

 フェリーが港に到着し、島の土を踏んだ。「俺はここまで自分の足でやってきたんだ」と、少し心が弾んだ。島は北南に細長く伸びており、当然のことながら四方を海で囲まれている。島と言っても、数万人の人口があり、食に関しては高い自給率を呈している。伝統や文化もきちんと根付いている。自分の意思で住み続ける人が居るということだ。ほら、東京や都市が全てじゃないんだ。

 半ば思いつきで海を渡ったこともあり、宿なんて物は確保しておらず少し心細かった。しかも、もうすっかり日が暮れている。野宿道具一式は持っていたから、どうにでもなるだろうと高を括っていた節もある。野宿できそうな場所を探すついでに、辺りを散策することにした。それに、簡単な観光マップにキャンプ場の文字を見たから、なんとかなるだろうと。港を中心として、小さな商店がポツポツと立ち並び、取り巻くように住宅が広がる。背の低い町並みを眺めながら進むと、次第に家屋はまばらになり、その隙間を埋めるように深い闇が辺りを支配した。道の両脇には鬱蒼とした雑木林や背の高い作物を栽培している畑が群生し、辺りの光を吸い込む。季節は秋の入り口だったが、空気は暖かく胸一杯に吸い込んだそれは夏の匂いがした。ここにはまだ夏がある、そう思った。草木は力強く生を謳歌し、聴いたこともない太い響きで虫たちは歌った。更に進むと、闇は濃度を増し、僕に纏わり付く。自分の手すら目視できない、本当の闇だ。恐怖が足下から這い上がり、僕の鼓動は早くなった。元来た道を引き返そうと後ろを振り返るも、等しい濃度の闇が漠然と占拠していた。先へ進むしかない。僕は、なかなか焦点を結ばない視野で正面を睨みつけ、慎重に歩を進めた。

 やっとの想いでキャンプ場に着いたのだが、なんと言う災難だ、閉鎖されていた。「夏期のみ営業」とある。内心どうにでもなってしまえとヤケな気持ちで、簡単なバリケードを乗り越える。そのキャンプ場は砂浜に併設されたもので、来た道の閉塞感とは真逆で海に向かって大きく開け、清々しく心地よい潮風が吹き抜けた。

 砂浜に立ち、波の音を聴く。ふと空を見上げた。思わずため息が漏れ、心の奥底が震えた。雲のほとんどない夜空に星が踊っていた。最初、一瞬頭が混乱し何が起きているのか認識できなかった。なぜなら、こんなにもたくさんの星が撒かれた夜空を見たことがなかったからだ。それほど見事な星空だった。ここでは、一等星も三等星も意味を成さず、星座や惑星や恒星、方角すら意味を成さなかった。星が多すぎて、区別できなかったからだ。視界一杯に、闇に穿った白光が輝き、天の川が流れた。今にも零れ落ちそうなほど、星たちは存在を誇示していた。僕は砂浜に備えてある(半ば砂に浸食され埋もれた)ベンチに寝そべり、ささやかな天体ショーを眺めた。僕一人のために用意された、僕の狭い視界と前頭葉の中だけで織り成す、自然現象。時折、頬を伝う涙みたいに、淡い光が尾を引いて鋭い線を描いて、消えた。流星群の到来という訳ではなく、これがこの島の通常運行なのだ。そのあと、小一時間そうして寝転んで居たが、10余りの星の欠片が大気圏に突入して、燃え尽きた。

 結局、その晩は適当な場所にテントを張って寝た。次の日は夏日になるほど日差しが強く、寝袋の中でぐっしょりと汗をかいた。
 その後も島の旅を楽しんだのは言うまでもない。青い、澄んだ海を眺め、その土地でとれた食材を頂き、ロケットエンジンの構造やらレプリカを観察した。何人かの島民と言葉を交わし、島についてだったり僕が遥々東京からやってきたことだったり、話題は広がりを見せなかったが楽しく雑談した。島民の殆どが「ロケットの打ち上げは無理してでも見た方が良いよ」と助言してくれた。

 島には三日滞在した。色々と事情があったため、フェリーの時刻表と観光を天秤にかけフェリーを取った。最低限の観光と、タイトなスケジュールに対するラディカルな対応。帰りのフェリーでは浅く眠った。現実の自分と、過去の自分、そして夢の中の自分の三人が入り乱れ解け合った。それぞれの僕は口々に何かを話しているのだが、声と声が重なり合って認識できずにいると、いくばくかフェリーが揺れたようで僕は文字通り物理的に揺り起こされた。そしてすっかり覚醒し、夢のさわりすら忘れてしまった。なにかの重要性を孕んでいた気がする。

 東京になくて、あの島にあった「何か」を考える。すると、まるで袋小路に迷い込んだ様な状態になってしまうのだ。確かに、ロケットや奇麗な海、一面の星空は東京にはない。しかし、そういった物理的に目視できる物じゃないのでは? と、思うのだ。たぶんもっとメタ的で普遍的なものなのだ。僕は旅と、旅の始まりに想いを巡らせる。そうか、と腑に落ち思考の霧が散った。おそらくこういうことだろう。

 人々は過剰な情報にさらされて無意識の内に誘導されて、経済が押し付けた流行をあたかも自分が選択した行動の様に認識する。一例だが、桜の名所と言ったら上野であり、パンダと言ったら上野なのである。当たり前だが、桜の名所は腐るほどあるし、上野以外にもパンダは飼育されている。
 一度植え付けられた種(それは価値観とも密接に関わっている)は成長し、自分にとって居心地のよいシステムを構築する。自分で選択したり一歩踏み出した経験を避けるようになる。その振れ幅を恐れるようになる。なぜならその方が楽で安全だし、当たりはかなり少ないかもしれないが外れもまた、少なくなるからだ。だから日常を、あまり変化のない居心地のよいネストとし、そこから飛び立つことを拒否し続ける。誰かが作った価値観を生き、ここには全てがあると感じるのだ。誰かが作り整地した道を、先導の背中を見ながら歩く。僕が言いたいのは、あえて道を自ら外れて観察することにより相対的に物事の価値が見えてくるんじゃなか、ということだ。全てが揃っていると思っていた場所に欠けていいるものは、自分自身が作った(いつの間にか作られた)スペースの外側にあり、そしてそれを見るために外に出て認識してみようと言うことだ。
 誰も訪れないような場所に足を運び、自分の五感で感じ取る。その土地の匂いを嗅ぎ、空気の層を体感し、土の固さを足の裏で感じる。道路脇に咲いた可憐な花を見、血の通った交流を行う。または、自分は死ぬまでにこれは経験することがないだろう、ということをやってみる。すると不思議と無いと思っていたものがそこにあったことを知るのだ。

 最後のセンテンスは、まさに僕自身の経験だ。旅を通して得たことだった。僕は、旅を通してひとつの人生を擬似的に経験した。それには始まりがあり、終わりがある。旅は人生の縮図だと言える。

 フェリーは失速し、港に横付けされる。大きい揺れを感じ、しばらくするとけたたましい音がして、続いてアナウンスが流れた。「◯◯港に到着しました」と、アナウンスは機械的に伝えた。  フェリーを下船し、ぐるりと辺りを見回した。やはり無機質な船着き場だ。しかし、何かが違って見えた。港を去り、街へ向かった。薄い雲が上空に浮かんで日差しを遮ったが、時折降り注ぐ陽光は心地よかった。太い環状線脇に等間隔に植えられたヤシの木や首を傾げてしまうような看板、レトロな一両編成の路面電車、目に映る色々なものが鮮やかに浮かび上がった。そして、道はどこまでも続いていた。

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 小高い丘の上に墓標はたっている。他にもいくつかの墓標がある。それぞれは特徴を有しており、苔むしてひどく古めかしいものや、一種のモニュメントみたいなもの、風刺的に何かを揶揄しているもの(本人は至って真面目かもしれない)など、見ていて飽きない。正方形を少し縦長にしたシンプルな墓標に近づき、一輪の花を供える。そして煙草を二本取り出し、一本は墓石に、もう一本は口元に持って行き火をつけた。深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。紫煙が細くたなびいて、消えた。
 丘の見晴台に行き、街を見下ろした。朝の新しい光が鱗粉のように粒子を散し、目覚めた街はざわめき出した。その音が耳元まで届いた気がして、目を背け土の色に染まった白いスニーカーを見つめた。
 街は生き続けるが、墓石の主は眠り続ける。永遠に。

 R.I.P