innate8の日記

大海を泳ぐ

SNSの閉塞感

最近SNStwitterから離れていた。単純に嫌になったからだけど。

なんでこんなにも人々はつながりを求めたがるのだろうか不思議でならない。

やったことを報告。食べたものを報告。誰と遊んだか報告。誰れといるか報告。何をしたのか報告。休日のリア充っぷりを報告。報告、報告、報告。。。

 

疲れる。

こんな表面上の関係をしているのは孤独感を埋め合わせたいからだろう?かつて僕もそうだった。リプの反応が来なくて落ち込んで、イイね!がなくて落ち込んでいた。他人の経歴や出身を見て過去を思い出しうつ状態になり、自分はダメだ屑だ何にもなれないと嘆き悲しみ、さらに希望を見出そうと深掘りすると他人のリア充っぷりに止めを刺される。踏み潰された蟻みたいにいとも簡単にトドメをさすことができる。

facebookは他人とのつながりを求めて少しでもつながっていたいから、人間関係を絶やしたくないからと始めてみたものの、得たものは他人に対する嫉妬と劣等感だけだった。そりゃあそうだよ、facebookなんて自慢サイトだもん。俺は東大卒なんだよ!とか一流企業に勤めてるんだぜ!とか、自己啓示欲を満たすものだから誇張されてて当たり前なんだよ。自分の弱みをネットで見せるなんて匿名サイトでしか成し得ない芸当なんだよ。

とにかく、そうやって他人の経歴、もう少し言えば他人の生きた歴史の断片を垣間見ると自分がちっぽけ過ぎて死にたくなる。何度発狂しかけたことか。あと、facebookを全然利用してなかったから設定なんて見向きもしなかったんだけど、今さっき紹介メールみたいなのが自動送信で3回も送られてきたから頭に来て設定変えてやらあ、と設定変えたら自分の情報が駄々漏れ状態に設定されていた。しかもこれデフォルトだぜ?どんだけ非リア充殺しきかかってるんだい、マークさんよお?

 

ネットの急速な進化によって人と人とのネットワークは日に日に巨大化している。今世紀はつながり、コミュニケーションの世紀だと言われているらしいけど、どこか孤独に対する排他的な感情を内包している気がするんだよね。孤独ってそんなにいけないことかな?確かに情報共有って言うものは百歩譲って良い物だとしよう。でも、そも情報の中に個人の私的な、それも生活を軸としているような情報が必要なのだろうか。別に、知人がステーキ食ったとかどうでもいいじゃん。じゃあSNSやめれば良いじゃんってなるけど、実名公開されているfacebookはなんとなく辞めにくいし、負けみたいで嫌だから放置してある。多分今後とも利用することは無いと思う。

そういった、目に見えない孤独廃絶運動が水面下で進行していて今やSNSで誰かとつながっていることが当たり前になってしまった。更には就活や仕事で利用しろと言われるらしい。それだけ自由=孤独な時間が減ってしまっている。友達ってものは四六時中つるむものじゃなくて、何ヶ月か何年か置きに会って話せればそれでいいと思うんだけど、世間ではそうでないらしい。こうやってSNSは常に誰かに見られているような息も詰まりそうな閉鎖感を産んでしまったんじゃないだろうか。もう少し自由に孤独に気の赴くままに生きようよ。